悲しい

星野仙一が亡くなった。

70歳。決して若くはないが、男子の平均寿命が80.98歳の時代である。あまりにも早すぎる。

各メディアがあらゆる著名人の悼む声を報じているが、そのコメントを読むたびに、その影響力の大きさを知る。

阪神ファンの私にとって星野監督は救世主だった。

83年生まれの私は列島中が沸いた85年の優勝を体感することがなく、一番最初の記憶は88年のバース帰国。栄光を掴んでから急転直下で暗黒時代に突入し、常に弱い阪神を応援していた。永遠に優勝なんてできないのではないか。そう思わせるほど弱小だった。それでも、野村監督の地道な教育が実を結ぶかもしれないと淡い期待があった2001年のオフ、沙知代夫人の脱税に絡みノムさんは球団から去った。目の前には闇しかなかった。その折に星野監督はタイガースにやってきた。ウルトラCの監督就任だった。

 02年こそ4位で終わったが、前半戦は首位に立つなど今までにない期待感を持たせてくれた(ノムさんの時も首位になったことはあるが、結局最下位。4位で終えられたことに価値があった)。

そして03年。金本を獲得したタイガースは破竹の勢いで勝利を重ね、圧倒的な強さで優勝を成し遂げた。18年ぶりの歓喜。私にとっては人生初の歓喜。これまでにない最上の喜びをもたらしてくれた。

その喜びをくれた星野監督は生涯の恩人である。08年に4位で終わった北京五輪。散々メディアに叩かれて本当に気の毒だった。もちろん、成績の責任を取るのは監督の務め。「金メダルを獲る」と公言してきただけに、世間からのバッシングはやむを得ない。私もその金メダルを観たくて、北京まで観に行ったのだから、それはそれは悔しかった。けれど、星野監督を責める気持ちは微塵もなかった。あの喜びをくれた恩人を責めることなど私には出来ない。

類稀なるカリスマ性をまとった野球人。野球の発展を心から祈り、そしてそれを考えぬき実践してきた男。

いまだプロとアマに隔たりのある野球界が、迫りくる少子化社会で後手を踏むのは目に見えている。それを無くそう、と昨年12月の殿堂入り祝賀パーティで語っていたという。どちらの球界にも顔が利き、かつその言動に説得力のある星野監督がこのタイミングで世を去ってしまった。大いなる損失である。

プロ野球経験者がそのトップであるコミッショナーになれないいびつな野球界を変えてくれると思っていた。野球界に輝かしい未来をもたらすためにみんなを引っ張ってくれると思っていた。病に倒れた長嶋や王、80を過ぎたノムさんにその力はもうない。なのに、その人たちよりも先に逝ってしまうとは。

旧態依然とした野球界の体質はまだまだ改善されることはないだろう。だが、故人の思いが深く突き刺さってくれていることを願う。

 

感動をありがとうございました。