ランボー ラスト・ブラッド(エイドリアン・グランバーグ監督)

※物語の核心に触れるので注意。

ランボーシリーズの最終作(多分)。
自らの尊厳と戦い続け、苦悩し続けた男がやっと心休まる安住の地で暮らしていたのに、かわいい‟姪っ子”が「メキシコにいるお父さんに会いたい」なんて言い出すから…

今まで巨大な組織と戦ってきたジョン・ランボーだが、今回の敵は小規模(と言ってもメキシコのそれなりのマフィアグループだが)。しかし、今までで最もランボーの殺意が溢れていた。
それは、同じ家で暮らす姪っ子のガブリエラがメキシコでマフィアにクスリ漬けにされ、その身を売られ、挙句命を落とすという悲しい目に遭うからである。

娘同然だったガブリエラ。馬の調教師としての素質もあり、(毎日、馬の調教している)自分と話が通じる数少ない身内だった。大学へ進学することやボーイフレンドがいることに寂しさを覚えながらも、いまだに過去の苦しみが精神を悩ませているランボーにとって唯一の安らぎの存在だった。それなのに…
これまでは1作目の自らの尊厳を踏みにじられる怒りが最も大きかったと思われる。2作目もまあまあ怒ってたが、1作目ほどではなかった。3作目は怒りというより友情のために戦っていたし、4作目はアカの他人の救出劇なので独裁者への怒りはあったが、ただ単に暴れただけという印象だった。
しかし、今作は身内を殺されるというこれまでにない悲劇がランボーを襲うのである。あんなに大ピンチだった大佐だって救うことができたのに、愛するガブリエラを救えないなんて……劇中で「なぜ俺じゃないんだ」と叫ぶランボー。今まで数えきれないくらい人を殺め、答えの出ないベトナムの苦しみから解放されない自分を、なぜ天は生かすのか―
ガブリエラを失った怒り。救えなかった怒り。己が生きているという怒り。
もう誰にも止められない。
そして、物語の終盤でそれは頂点に達し、シリーズ最大の「」が炸裂する。
もはや、アクション映画ではなくスプラッター映画だった。
「何もそこまでしなくても」のオンパレード。あなたが殺している人にも家族はいるんだよ、と教えてあげたくなる。
だが、これはランボーのポリシーなのだ。
物語中盤で都合よくランボーを助けてくれる女性がいるのだが、この人に「憎しみには憎しみで返す」みたいなことを平然と言い放つのである。こういう思考の持ち主なのだから仕方ない。
残念ながらランボーがいる限り、戦争はなくならない。

これまでの4作品も無茶苦茶だったが、今作もやっぱり無茶苦茶だった。だが、大満足の内容だった。これぞ劇場で観たいスタローン映画である。
齢73にして、この内容で主演できることを心から讃えたい。

ランボー万歳!